猿祖降臨及治地龍 右隻  うきぞう絵日記その93

 うきっ! うきぞうでございやす!

 すっかりとこの時間での更新が定着しつつある今日この頃・・・。

 どうにも、いけやせんねえ・・・。

 反省、いたしておりやすです・・・。

 いや、ほんと。

 気持ちはあるのでやすよ常々。ただ実践が伴わね、ってだけ、で・・・・・・。

 さてさて! 気を取り直してっと! 今日の一枚なんでござんすが、


   ☆猿祖降臨及治地龍(そえんおりたちちりゅうをおさめるのこと) その右隻☆彡


 でございやして、一双物の屏風絵の、向って右側の方でやす♪ 左っかわはまた明日ご紹介いたしやす(もったいつけやすが、実はかなり衝撃的なもんでござんして、ね)。

 およそ150年ほど前の作、なのだそうで、どうにも詳しいことは解りかねやすが、結構有名な絵師の手になる金屏風らしいでやす。画の表はすっかりくすんでおりやしたが。

 これは「猿ヶ嶽(さるがたけ)温泉」にある郷土資料館にて展示されていたもんでやして、お持ち帰り自由の施設解説リーフレットからの転載でござんす♪ (ちゃんと了解は得ておりやすんでご安心あれ♪)

 問題はもう片側、

 この右隻から連なる絵柄の左隻、そのとある部分にあるのでやすが・・・、

 まあそれは明日に回すことといたしやして(重ね重ねもったいつけちまって申し訳ありやせんねええ。とにかく我々にゃあかなりな衝撃だったもんで、せっかくなんで2日に分けるのでござんす♪)、本日はこの右隻についてちょいと講釈(ってえほどの知識はござんせんが)たれてみたいと思いやす♪

 ぃえ~、時は遥か遡ること星の創生の時代、この星では大地の割れ目より生まれし地の龍が、その強大なる力によって地上の全てを牛耳っていたと云われているそうで、そこへある時降り立ったのが我ら猿族の始祖であり、軽やかに天かける身のこなしと、気を自在に操る能力でもって地の龍を退散させ、王の座を見事勝ち取ったんだそうでござんす!

 勇ましい英雄譚でございやす。我らお猿の栄華な歴史。でありやす。が。うきぞうめは今回初めて知りやした。ミヨちゃんも寡聞ながら知らぬと申し、八丈島くんに到っては興味さえ失っていたようで、熊さんは・・・まあ・・・・・・、

 まだ卒倒していた真っ最中・・・。

 その理由もまた明日! (勘の鋭い貴方はすでに気付いちゃったかな?)

 おそらく。この地、つまりは猿ヶ嶽温泉のある一地域にのみ伝わる伝承か何かなのでは、ってえのが、その時の全員の一致した意見なんでやして♪

 そもそもそんなことぁすでにどうでもよくなっていたっっっ!

 150年前の絵ってえのはさすがに嘘じゃあねえだろうし、だとすると本当にとんでもないことが起こっているのでは・・・、って驚愕の事実に、血の気の引くほどの戦慄を覚えていた一同でやして・・・・・・。

 てなとこで、以下、次回っ!



(2010年1月20日22時39分初出。加筆修正して再掲載)


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